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岩波書店:眼中の人/小島政二郎

眼中の人

▼ 一 ▼

「文学的作品は、比例と調和とがなければ、それは第二流以下の文学である」とか、「美の第一価値は、その形にある」とか、「すべての芸術は冴えがあって生きる」とか、私の日記には、そういった私の傾向を語る短い文章の抜萃が幾つも並んでいた。

では、どういう文章を私は自分の文章にしようとしていたのか。いや、どういう文章を他人が書いたら私の気に入るのだろうか。一ト口にいえば、描写的文章である。人物でも、情景でも、目に見えるように読者の目の前に浮かび上がらせなければいけないという説だった。 * 「そりゃアとても私悲しかったのよ」こういってしまうのは説明だ。説明では、読者の心の上ッ皮を撫でて通って行くだけだった。しかし、小説家なら、黙って情景を描いて、読者をその情景より心理なりの中へ引き摺り込んで、女主人公と同じ悲しみを身を以って呼吸させなければ嘘だ。それでこそ小説だ。私はそういう描写万能論を持っていた。洗練された文章と、描写と、この二つが文学の二大関門だと信じていた。

▼ P.185 ~ P.186 ▼



▼ 六 ▼

私は考え込んだ。一体小説とはなんだろう。文学上のやかましい議論は暫く置いて、要するに、小説とは一つの物語だといってよかろう。その物語が展開して行くうちに、人間性の真実がそこに掘り起こされて行かなければならないことはいうまでもあるまい。とすると、この人生を、作者がどの深さまで読んだかということの報告だといっていいだろう。云い直せば、人間性の真実に、どこまで肉迫してその真相を摑んできたかということで、小説のよしあしの勝負が極まるのだ。描写も説明もあったものではない。お前は文章に関心を持ち過ぎていると思わないか。問題はその以前にあるのだ。

▼ P.185 ~ P.186 ▼



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プロフィール

雪男

Author:雪男
Unidentified Mysterious Animal協会東京支部に所属するルポライター。記憶の一部を喪失し、「Eコース」の診療を受けつけてくれる精神クリニックを探している。

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